上田城跡公園 [はな]
上田城は天守閣は造られなかった。戦術的に上田城の位置設定は、千曲川が南櫓のすぐ下を流れ、南方からの敵の攻めに対し、格好の自然の防衛とした。(このため「千曲川 尼が淵城」とも当時呼ばれた)
北方は、太郎山(城内には太郎山までの地下抜け道の入り口が残されている)が自然防衛フェンスであった。
東方は、防衛フェンスがないため、真田氏の知恵で、城下町の東外側に等間隔に寺(南から北に向け、日輪時、宗吽寺、願行寺、月窓寺、本陽寺、大輪寺 西側は見方側なので堀と芳泉寺の一寺)と墓地の設置と、道路のクランク化(枡型道)で、敵(徳川方)の進入に防衛した。二度(一次(1585年)、二次(1600年)上田合戦)にわたり、東方からの徳川勢を撃退させている。二次上田合戦では、徳川二代目将軍秀忠軍を真田勢が足止めして、天下分け目の関が原の合戦に、間に合わせなくした話は、あまりに有名です
大手門 この日BSにて一日中さくら生中継が行われた
大手門の左手に南櫓を
枝垂桜に北櫓
太郎山方面のさくら
さくら堤
北櫓を見る
城外より さくらに包まれる南櫓
上田太鼓 と 南櫓
イベント
さくら堤は少しずるいくらいですね。これは文句なく美しい。
ここが足止めの話の地でしたか。
クランクの道はよくありますが、名は知らなかったです。
by 春分 (2007-04-29 06:36)
春分 さん、こんばんわ。
桜の撮影は難しいですね、何とか絵かきができたようです。
お城のいわれって興味がありますね。
by 92san (2007-04-29 21:25)